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研究ノート「都市のインテリア」  
 
  
   
006 都市環境からのプレゼント・アフォーダンス Affordance  「人間家族展」より

きたたたたたたたたeeeeeeeeeeeeee
rrrrrrrrrrRRRRRRRRR
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  よくできた都市環境は、ただ役にたつ(機能する)以上の<何かsomething>を人にプレゼントするものである-との仮定にもとづいて私たちは、<都市のインテリア>とのタイトルのもとでそのようなケースについて観察し、よりよい都市環境が成立つ法則を追求しようとしている。このときsomethingsとは、普通は意味とか価値とか、あるいは少し気取ってメッセージなどのことばで説明されるものであるけれども、用語的に漠然としていて、いかにも歯切れが悪い。そこで005「一緒に座る」の投稿者は、ギブソンのアフォーダンスを持ち出した。私たちが今探し求めているsomethingのことをアフォーダンスaffordanceと呼んでみたらどうか、あるいは呼べるかどうか。ネット百科ウィキペディアの解説を参照しつつ考えてみたい。  
ウィキペディア    
 アフォーダンス(affordance)とは、環境が動物に対して与える「意味」のことである。アメリカの知覚心理学者ジェームス・J・ギブソンによる造語であり、生態工学、生態心理学の基底的概念である。「与える、提供する」という意味の英語 afford から造った。 


 英和辞典   afford
 [動](他)1 [III to do]((can [be able to] ~))((通例否定文・疑問文))〈…〉できる, 〈…する〉余裕がある, 〈…〉しても大丈夫だI can't afford to waste even one yen.|私は(今は)1 円でも無駄にできない...
プログレッシブ英和中辞典(第4版)
affordable
 [形]1 手に入る, 入手可能な.2 〈価格などが〉手頃なThere's a lot of affordable housing in this area.|このあたりには手頃な価格で買える家屋が多い...
プログレッシブ英和中辞典(第4版)

ウィキペディア    アフォーダンスは、動物(有機体)に対する「刺激」という従来の知覚心理学の概念とは異なり、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値であると定義される。
 アフォーダンスの概念の起源はゲシュタルト心理学者クルト・コフカの要求特性(demand character)の概念、あるいは同じゲシュタルト心理学者クルト・レヴィンの誘発特性(invitation character)ないし誘発性(valence)の概念にあるとギブソンは自ら述べている。

   
 ゲシュタルト心理学が相対する旧来の心理学とは要素主義-すべての心理現象を心理的要素の構成体として説明する-と呼ばれるものあり、建築における機能主義と似ている。機能主義を乗り越える難しさは1960年台の構造主義論争(磯崎新氏の活躍が思い出される)で万言を費やされたとおりであり、アフォーダンスという概念の普及にも紆余曲折があったことを、ウィキペディアの編者は次のように記している。

ウィキペディア   本来のアフォーダンス
 ギブソンの提唱した本来の意味でのアフォーダンスとは「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」である。例えば引き手のついたタンスについて語るのであれば、「"私"はそのタンスについて引いて開けるという行為が可能である」、この可能性が存在するという関係を「このタンスと私には引いて開けるというアフォーダンスが存在する」あるいは「このタンスが引いて開けるという行為をアフォードする」と表現するのである。要点は行為の可能性そのものであるため、そのタンスが引いて開けられるのだと示すインターフェイスを持つか否か、ひいては"私"自身がそのタンスを引いて開けることが可能だと認識しているか否かは全く関係ない。タンスに取り付けられているのが「引き手に見えない、あるいは引き手として使用できそうもない引き手」であっても、"私"に引いて開ける事が可能ならば、その両者の間にアフォーダンスは存在するのである。

ノーマンの誤用
 しかし近年、特にデザイン領域においては、前項で紹介されているように「人と物との関係性(本来の意味でのアフォーダンス)をユーザに伝達する事」平たく言えば「人をある行為に誘導するためのヒントを示す事」というような意味で使用される事がかなり多い。「わかりやすい引き手を取り付けることで、タンスが引いて開けるという動作をより強くアフォードする」等というニュアンスの記述もしばしば見られる。これらはギブソンの本来の意図からすれば全くの誤りである。この誤用を結果的に世に広めてしまったドナルド・ノーマンも後年にそれを認めており、「自分の著書において使用されているアフォーダンスという語については、本来のアフォーダンス(Real affordance)ではなく、知覚されたアフォーダンス(Perceived Affordance)と読むべきである」という旨のコメントをしている。
 現状では特に注釈なくこれら二つが入り交じって使用されている(むしろノーマンによる誤用がより広く浸透している傾向がある)ため、十分な注意が必要である。
   
 ・・・ハナシが難しくなった。私たちインテリア学会の会員は基本的にデザイナーであるので、人と物との関係性(アフォーダンス)がより分かりやすく人に伝わるよう、都市環境・建築環境をデザインしようと努めている。しかしそれは、ギブソンが意図するものではないという。どうやらギブソンの関心は純粋に、<人や動物が環境との関係性を構築する過程の探究>にあるようである。だから、エサを撒くなどの環境改善行為は野生の破壊にほかならず、ギブソンは否定的である。デザイン(分かりやすさがウリである)というおせっかいは、やり始めると際限がない。日本の都市環境では、人を子ども扱いする過剰サービスがしばしば話題になる。
 アフォーダンスは人が自分で発見するものでなくては意味がない-とギブソンは言っているようである。この忠告を、よく心にとどめておきたい。

 さて、アフォーダンスを都市のインテリアの見出しに使うなどは誤用の類かもしれないが、しかしこのスタディーの意図を説明するには便利である。投稿記事001~005で取り上げられたアフォーダンスは、例えば以下のようなものではないかと推察される。
                                      
    期待されるアフォーダンス
    001
002
003
004
005
「どうぞ座って」 Please take a shee
「境界を飾る」 Decolated boundary
「一緒に食べる」 Public eating
「寓居ミュージアム」 A temporaly adobe museam
「一緒に座る」 Public sitting
オモテナシの心
なわばり表示の受け入れ
共有関係の誘導
タイムスリップ

共有関係の誘発  
   
   


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日本インテリア学会中国四国支部