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研究ノート「都市のインテリア」  
 
       
   
  004 寓居ミュージアム A Temporaly Adobe Museam           「人間家族展」より
 
 
            
             
  い 魯山人の寓居  
 
  魯山人寓居跡 いろは草庵入口
   大きな敷地に母屋と土蔵と庭園を配した住宅は日本中に存在するでしょう。このような古い住宅を新しいミュージアムに変身させた好例が石川県の加賀市にありました。その主は北大路魯山人です。魯山人は大正4年、32才の時、粋人の細野燕台に伴われて山代温泉に来ました。そして吉野屋旅館の吉野治郎に頼まれ、看板を彫るためこの住宅に寓居(仮住まい)した。
 細野は漢学者で茶人、書や美術•骨董に造詣が深く、文人としても注目されていた。また吉野も書や茶道を嗜み、美術•骨董の世界にも精通していた。これらの粋人に囲まれ、この住宅は山代温泉の文化サロンとなる。魯山人の寓居期間は約半年と短かったが、山代との交流は晩年まで続き、魯山人にとって学びと癒しのふるさととなった。山代の須田菁華には陶芸の手ほどきを受けるとともに、陶芸にたいする魯山人のたぐいまれな才能を見つけ出してもらった。また魯山人は料理を金沢の「山の尾」の主人、太田多吉に学んだ。新鮮な加賀の食材、ズワイ蟹、コウバコ蟹、甘海老、鱈、鰤、コウナゴ、コノワタ、クチコ、狸汁、鴨、スッポン、沢庵、蕨などは、魯山人のすぐれた味覚を研ぎすませていったようです

  ろ プラン
 
   
 この民家は山代温泉の中心地に位置し、琴平神社の鳥居近くの角地に建てられています。北側の通りから入る木造2階建ての母屋が敷地中に在り、西側に土蔵が南北に配され、それらの南に日本庭園が築かれています。
 2002年に母屋と土蔵を繋ぐロビーを増築し、「魯山人寓居ミュージアム」として開館しています。母屋には刻字、看板を彫った居間、書や絵を描いた床の間、山代の旦那衆と語り合った囲炉裏の間などが遺され、土蔵は展示室として、魯山人の創作した焼物、書画、看板、ゆかりの品々で満たされていました。
 
は 
増築棟の喫茶室
 
 

 母屋と土蔵を繋ぐ様に増築された棟は南の日本庭園を大ガラス越しに眺めながら、木造床の上で喫茶休憩をするスペースとして造られていました。考えて見ますと、このように広い敷地に母屋と土蔵とそれなりの庭園を有した民家は日本全国に存在するでしょう。また偉人、才人がそれ等の民家に半年以上寓居した事例も多くあると思います。すなわち「寓居ミュージアム」になる可能性が数多く眠っていると思われるのですが、どうでしょうか。
 母屋は偉人が寓居していた当時の生活と古道具を再現し、土蔵にはその偉人の創作物、遺物、歴史上の遺品などを展示する。そして母屋と土蔵を繋ぐ所に喫茶休憩をするスペースを増築すると小さなミュージアムが生まれます。増築部分は母屋の建築様式に合わせてもよいし、むしろ思い切って新しい様式、新しい素材を使ってミュージアムを特徴づける方法もありかもしれません。
  

  に 山代温泉エピソード 
 
        y y 山代温泉古総湯(内藤廣設計)   y y山代温泉の丸い石垣    
 
 
このミュージアムでは魯山人にまつわる多彩な企画展が、2004年から2013年にかけて、年平均3回、延べ27回も開催されています。魯山人に関する作品収集や展覧会企画などを担当されている優れたキュレーターの存在が施設以上に重要であることも理解させて頂きました。
  (文中の故事は魯山人寓居跡のパンフレットを引用)
     リンク: http://www.kagashi-ss.co.jp/irohasouan/ 
 

  C.アレクザンダー「パタン・ランゲージ」 からのコメント                    
59 静かな奥 Quiet Backs
 入館者数をニュースにする企画展とは対極にあるミュージアムの話-と読むと、寓居ミュージアムを読み解くパターランゲージはこれ。歴史の表舞台からは退いた民家と蔵(日本のどこにでもある)の、都市のインテリアとしての優れた空間的資質を指摘する一筆。騒音の中で働く人、オフィスで働く人は、自然的な場所で静かに休息し、元気を回復する必要がある     
       
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  日本インテリア学会中国四国支部