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1JI'CS
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エコデザイン
美しい街と道
012
- - - Aug./2000
佐々木ひろみ
松山東雲短期大学

■エッセイ to indexes

 以前、内子町の古い街並みを訪れたことがある。白いしっくい壁と黒い瓦のコントラストの美しさや、格子のデザインの多様さに目を奪われ、歩いては立ち止まり、立ち止まってはしげしげと観察した思い出がある。
 街の歴史と建物について博学なボランティア・ガイドさんは、とある民家の前で、「これはこんなふうになるのですよ」と言って実演を始め、民家の外壁に留めてあった金具をはずしたのである。すると、60センチ前後の幅の縁台がばたんと下りてきた。
 見事な手品を見たときのように、観光客は「ほう」と声を上げて、その意外性に驚き、実用性に感心してしまった。「なんでも体験主義」を自負する人などは、縁台に腰をかけたりして、座り心地を確かめていた。たたみ上げたり下ろしたりする縁台にもかかわらず、がっしり安定しているようにみえた。表の通りに面して、このような仕掛けが多くの家に作られていることが、住む人のコミュニケーションのために重要なのである。
 熱い夏の夕べには、うちわ片手に、涼を求めて縁台に集まったことだろう。へぼ将棋に、当事者よりも傍らで見ている者が熱くなったり、世間話に花が咲き、井戸端会議ならぬ、縁台会議が見られたことだろう。この街ができ、この家を建てた時代の人々の暮らしが目に浮かぶようである。
 あらためて内子の街並みを眺めてみた。車というものがなかった時代、道はこの程度の幅員でよかったのだ。人が行き来し、せいぜい馬車が通ればよかったのだから。この道は、両側の民家の屋根の高さとうまく調和して、実に歩きよい。街全体が、ヒューマン・スケールによって成り立っていることを実感する。私たちの祖先はこんなにも美しい街をつくったのだ。電線や電柱が見えない街並みは、私たちを遙か昔へとタイムスリップさせる。
 道で人は出会い、心をつないだのである。子供たちがよく遊んだのも、道端や路地であった。近所のつきあいの大部分も、路上であった。また、道は街と街をつなぎ、人の行き来とともに、新しい物や文化をもたらした。道はそもそも人のためのものであった。
 ところが、その道に自動車が進入するようになって、街も道も変わってしまった。路上で遊ぶ子供達の姿も、街の人々の談笑も消えた。
 歩きやすい道、歩いて楽しい道、散歩してみたくなる道がある街は、住み良い街である。なぜなら、子供にも、お年寄りにも、乳母車を押しているお母さんにも優しい安全な道だからである。街路樹が新緑に輝き、秋には赤や黄に染まり、季節のうつろいが感じられる豊かな道だからである。夏にはセミが鳴き、木の実には鳥たちが寄ってくる道だからである。
 道を大切に考えることから、街づくりは始まる。
(愛媛新聞「四季録」'99.3.18)から転載)
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日本インテリア学会中国四国支部