1JI'CS
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エコデザイン
インテリア計画の研究に生物学的発想が欲しい
004
- - -     Feb./2000
    小原二郎
    千葉工業大学

■テーマ - - - - - -to indexes

 
 住宅産業の歴史は約40年だが、その歩みの中で、住み手は人間という生き物だ、という基本を忘れたために、軌道修正を余儀なくされたことが二度あった。そのことについて書いてみよう。

 住宅産業の歩みを振り返ると、その間に目標とするイメージは4回変わってきた。最初の目標は「量」であった。戦後、大量の住宅不足を埋めることが急務だったからである。二度目の目標は「質」に移った。次の三番目は「快適性」で、アメニティーという言葉が流行した。その言葉の新鮮みが薄れてくると、四番目は「健康」になった。そして、理想の住まいの条件は高気密・高断熱だとされた。しかし平成8年以降事情は大きく変わることとなった。マホービンのような家はガス室と同じ危険性があるという疑問が出たからである。それによって住宅産業は大きく揺れた。「新築病」という言葉がその騒ぎを代表している。


 さて、前記の軌道修正だが、最初の例はハウス55の終わった後の、昭和57年の修正である。ハウス55は昭和51年から55年にかけて行われた国の大プロジェクトであった。それは自動車産業の技術に習い、大量生産、大量販売の方法によって、庶民に安価で良質な住宅を提供しよう、という企画であった。それは5カ年の歳月と17億の金を使って、一応の目的を達成した。だがその成果を顧みて気がついたことは、家というのは、まず、気候・風土があって、それに長い生活経験が加わって生まれてきた、文化の産物とでもいうべきものである。だから地方ごとに違いのあるのが本来の姿だ。それなのに工業化によって、同じ家を大量に作って、北海道から九州までばら撒いたら、日本文化の破壊につながる恐れがある、という反省であった。そのことは音楽にたとえて説明するとよく分かる。名器を作ってばら撒けば誰でも名曲が弾けるという錯覚と同じではないか。どうすれば名曲が弾けるかという、ソフトの研究が欠けていた。これでは雑音が出るばかりで名曲は弾けない、ということに気がついた。そこで「住まい文化推進運動」を起こして、ソフト面を補ったのである。つまり家の主人公は、ばらばらの個性をもった生き物だという基本を忘れていたことえの反省であった。


 第二の例は、このたびの健康住宅問題である。家を単なる容れ物と考え、それを工学的立場で作るとすれば、高気密・高断熱が理想像であることは間違いない。省エネに役立つし、室内気候も望みのままにコントロールできるからである。だが主人公が生き物だという立場に立てば、高気密のインテリアはガス室と同じ危険性があるし、恒温恒湿の環境は生き物にとっては理想の空間とは限らないからである。さらに清浄化を進めて無菌化すると、人間が本来持っている抵抗力が衰えて、生命力を弱くする恐れがある。「保護すれば弱くなる」というのは生物学の大原則である。体の弱い人には保護が必要だが、健康な人にとっては「保護と訓練のバランス」こそが重要である。工学的立場からすれば、模範答案はゼロパーセントか100パーセントだが、生物学的な立場からすると、それが常に正しいとは限らない。つまり工学的な物差しの目盛りと、生物学的な物差しの目盛りとは同じではないのである。
 
 以上のように考えてくると、これからのインテリア計画に必要なものは生物学的発想だ、と私は思うのである。



日本インテリア学会中国四国支部